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2015年1月 7日 (水)

毛皮のヴィーナス ☆☆☆☆

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毛皮のヴィーナス」をヒューマントラストシネマ有楽町で観てきました。やっぱここの2番シアター、スクリーンの大きさに比べて座席が遠いので、前から5〜6番目がベストポジションなんじゃないかしら。一番後ろだとちょっと画面が小さいなあ。

マチュー・アマルリックが好きだというだけで来たこの映画、観始めてから気がついたんだけど、まさかの舞台劇…うーんbearingちょっと苦手なんだよなあ。特に小劇場系はなんだか息苦しいような気がする。それでもこれは珍作!たっぷり楽しんできました。

傲慢な演出家トマ(マチュー・アマルリック)はオーディションが不作で帰宅しようとしたところ、かなり遅れてやってきたワンダ(エマニュエル・セニエ)が強引に演技を始めてしまうが、素晴らしい役の解釈と完璧な演技に徐々に心を奪われ…

遅れてやってきた彼女は北島マヤだった。そして舞台の上で紅天女という神に変貌するのだった…てわけではないですけどね。

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残念なのは私が18世紀風のフランス語のスノッブな雰囲気を知らないので、エマニュエル・セニエがどの程度演技をはじめた時すごい変貌を遂げたのかがわからないこと。北島マヤほどは別人ではないのはわかったけども。それと監督お気に入りの決めポーズがあるらしく、そればっか何回も出るんで「またかいな」という気分になりました。

しかしワンダの演技と実物の境がだんだん曖昧になっていくところは実に緻密で、それに軽蔑→驚愕→感動→共感→反発→崇拝→陶酔とトマが揺れながらも翻弄され最後には支配されていく様が本当に女神に会った人のようで、これには「すごい映画だな」と素直に驚きました。

神はただ優しく美しい存在ではない。猛々しく祟る神や、激しい怒りを現す神もいる。トマにとってミューズとなるはずだったワンダは、最後には傲慢というトマの罪を許さぬ荒々しい女神となって、罰を与えて去るのだ。その姿は原始の人々が恐れおののく神のようでもあり、まるで通り魔のように避けがたく恐ろしいヒトではないモノのようだ。

そういえば大学時代のドイツ語の先生が「日本では森には神様がいるが(村の鎮守の神様の〜note)ヨーロッパでは森には恐ろしいモノが棲んでいる」と言ってたような気がします。日本の小劇場にはボンビーな劇団員が住み着き牢名主化していたりするかもしれないですが、パリの小劇場には得体の知れないモノがいるのかもね…?

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