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2011年8月18日 (木)

ツリー・オブ・ライフ ☆☆☆☆

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立川シネマシティで「ツリー・オブ・ライフ」を観てきました。ここってあまり段差がないので前に人が座るとちょっと苦しいのです。そして前列の方はイスが低くて、ヒールのある靴だと足首がちょっと痛くなります。

CMを見ただけで観に来ると、肩透かしを食ったような気分になる、CMと本編の印象が全然違う映画です。なんというか・・・親子の葛藤ではありますが、むしろテーマは神と人間の関係性を考えるところにあると思います。

3人兄弟の長男・ジャックは母親にはたっぷりの愛情を与えられて育つが、父親(ブラッド・ピット)はテキサス男らしく短気で強権的であるため、反発を覚えながら荒れていく。

映画の始めにヨブ記の言葉が出てきます。これがすべての内容に響いてくるので、忘れないようにしましょう。

338680view003父親の出張中に母親と子供たちが大はしゃぎするシーンがありますが、私の父の子供のころやはり祖父が泊まりがけの句会でいないときは、伯母たちは気楽な格好で家の中で歌ったり踊ったり、寝っころがって本を読んだりしていたと父が言っていました。普段ちょっとはしゃいだだけで怒られてたらしいです。

まあ、こういうよくあることを例に、これまた私たちがよく考えること・・・たとえば、「罪なき人がどうして死ななければいけないのか」「どうして神は災害を起こすのか」「どうしてこんな苦しみを神はお与えになるのか」「どうして神は父を私の父にしたのか」などの素朴な疑問を解決とまではいかないまでも、答えを導こうとしている映画なのです。

神は人間を草や木、あらゆる動物と同等にお造りになり、あらゆる禍もまた同等にお与えになる。しかし大地に絶えず草は生えるようにいつか人も状況に耐え立ち直り立ち上がり、やがてすべての人が分かり合える世界を作り上げるように生きなければならない・・・ということをいささか退屈にも思えるが素晴らしく美しい地球の息吹のシーンを積み上げることによって監督が答えていったと考えますがどうでしょう。(しかしあの恐竜のシーンはどうかと思う。)

大きくなったジャックのショーン・ペンの苦しそうな顔。子供時代に暮らしていた世界は光と緑に満ちていたのに、今ジャックがいる世界は人工的な音と建築物に囲まれている。誠実な弟は(おそらく戦争で)死んでしまった。彼は子供時代を思い起こし弟に詫び、強権的であった父もまた次男にしてしまった無体を思い出しては詫びます。この「思い出して詫びる」という行為に私は神の存在を感じます。もう会うことができない人を介して今現在生きている人たちが結び付けられることにです。神の見えざる手(経済用語ではない)が見えるような気がするのです。

ショーンはスーツのままで荒れ野を彷徨い、そして最終的に「皆が分かり合える世界」に到達しますが、そこに行くまでは荒れ野のように厳しい人生があるのでしょう。これは生き方を問うものであって、ヱヴァの「人類補完計画」のように生きている段階で自我をなくして(A.T.フィールドの無効化)人類を一体化させる(LCLに還元される)というものではありません。

こういう映画って好き嫌いがあると思いますが、長男が生まれて成長する過程は好き嫌い関係なく感動の嵐です。私も親にこのような感動を与えることがあったのか、また私が子供を産んだときこの感動を手にしたと思い出すと、涙を抑えることができませんでした。

素晴らしい映像が沢山出てきますので、せっかくなので大きな画面でゆったりと観た方がいいと思います。

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